2012年3月31日土曜日

全国高校選抜テニス

3月24・25日 大阪代表チーム応援のため、福岡県・博多の森公園テニスコートにいって来ました。




初日・24日土曜日

男子・清風高校(わが母校)は、三回戦で長野・松商学園に0-3のストレート負け。女子・城南学園は準々決勝に駒を進めた。






二日目早くも最終日・25日日曜日

女子・城南学園は、準々決勝、長野・松商学園に3-1で勝利。準決勝は、2-2でシングルスナンバー3に勝負がかかる。ファーストセットを6-3で取り、セカンドセット4-4の時点で、私の帰りの飛行機の時間が来てしまいました。空港から電話で結果を聞いたら「ファイナルセットに入り、明日に順延」との事でした。

そして次の日続きが行われ、4-6で破れ、計2-3でベスト4となりました。大健闘、でも優勝のチャンスもありました。夏のインターハイに向けまた努力して欲しいと思います。





*二日間の滞在で感じたこと。


はっきり言うが「大阪の選手は冷めている」

地方の選手・学校ほど、まとまっているとか貪欲だと感じるが、大阪に関しては、全く”熱”を感じない。我々指導者の責任もあるだろうが、それにしてもミスに対しては大きくリアクションをし、ポイントを取れば周りがやっているようなガッツポーズをする。うがった見方をし過ぎなのか?

背景には、普段から”自己満足テニス”、何か「背負って」戦っていないのではないか?と私は感じています。

監督やスタッフ、メンバー、学校、ここまではあると思うが、大阪や関西という”地域代表としての自覚”や、先輩が築き上げてきたあるいは後輩に受け継ぐ”伝統”、さまざまあると思う。その上で皆、団体戦として緊張したりするのです。私が感じた大阪の選手は、自分が”ちゃんとできるかどうか”が心配で緊張していた。

これは、数年前から”関西”に感じていたこと。社会か指導者か時代か・・・、そろそろ変革を考えなければならない。



























2012年3月11日日曜日

終止符




私が20代時にお世話になった『ミキプルーン(三基商事)』は、数年前、解散・撤退をしました。


初めて日本リーグに昇格したのは、私が加入した94年でした。写真の中央、右近憲三プロ。彼はチームミキプルーン監督。右は岩原慎二氏、テニスチーム発起人で私の先輩。そして私です。右近監督、岩原氏とはチームが解散した今でも、たまにですが交流があります。このお二人にチームに誘われて、今までテニスをやり続けることとなったのです。


昨年の夏休み、ミキプルーンのテニスコートを利用してのジュニア練習会を何度か開催しました。最近は、砂入り人工芝「オムニコート」が主流で、ミキプルーンホームの「ハードコート」が少なくなってきました。
しかし、テニスチームの活動がなくなった為、この度テニスコートを閉鎖する事となりました。跡地に新たに配送センターが立つ予定で、工事も進んでいて更地になる寸前です。
そんな折、ミキプルーン本社の方から連絡をいただき、関係者を集めて「お別れ会」をやる事に。


残念ながら、あいにくの雨とゆかりの選手が少数でしたが、社員の方々とも久々にお会いしてよい「お別れ会」ができたと思います。

またひとつ、関西から実業団テニスチームが無くなってしまったのが寂しいですね。


しかし私は、現在の閉塞感のある関西のテニス界を、さまざまな形で盛り上げていこうと思っております。これからも皆様、応援よろしくお願いいたします。